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Posted by 滋賀咲くブログ at

2015年04月05日

種を蒔くとき。


これは、先日ヨーロッパに行った時に買った、

家庭菜園用の種です。

キュウリに、キャロットに、ミニパプリカに、バジルに、黄色インゲン…。

確かオーストリアの地方のスーパーで買いました。

この時ばかりは、ヨーロッパに居ることを忘れましたね(笑)

楽しかった(^^)

種を選ぶ時が、一番楽しいんですよね。

あれもこれも作りたくなる!



初めて野菜を育てた時、

『自分の蒔いた種が、実になる…』

という経験は、今までにない感動でしたね。

まあ、農業をやろうと思った原点ですね。




ちょうど今、時期的に『種を蒔くとき』です。

私も今、コソコソといっぱい種蒔いてます(^_^)

コレをやんないと、夏から秋の収穫はありませんから(笑)

種蒔いて、生命産み出さないと始まらない!



現代の消費社会では、

『消費者』あっての『生産者』って言われますけど…

『生産』あっての『消費』が、やっぱ基本ですよね。



ちょっと話が飛躍しちゃいましたかね(笑)




今、日本は人口減少局面に入って、これから加速度的に減って、

未知なる世界へと突入していきます。

大げさではなく、逃れられない事実。

どんな社会になるか、

どんな社会にしていくのか、

本当に考えていかないと…と真面目に思っちゃいます。



前回ご紹介した村上さんの著書で引用されていた文章が、

とても心に刺さりました。

…アフリカのセネガルでは、厳しい自然条件によって収穫が十分でなかった年には、
現地フランス語の「Soudure(スディオ)」が必要とされます。
直訳すれば「溶接(つなぎ合わせる)」という意味ですが、
転じて、セネガルでは「翌年につなぐ」という意味で使われているそうです。
つまり、どんなに今年の収穫が悪くても、
それが期待できない乾季ののあいだ、家族が飢える寸前でも、
子供や妻を重労働に外に働きに出してでも、
自らが遠くへ出稼ぎに出ても、何をしてでもなんとかしのいで、
最後の最後まで、
収穫の一部分である来年に蒔くための「種」には手をつけてはならない…




未来がとっても不透明な今の日本に、

「Soudure(スディオ)」の考え方は、

存在するのでしょうか…。






自分たちが生き延びるためじゃなく…

『次世代につなげる』種を蒔く…

少なくともそのための土壌(環境)を整える…

そんなオトナでありたいですね。













  


Posted by レイクサイド・ビジュー at 18:17Comments(0)野菜・果樹の生産販売コミュニティービジネス